懐かしの名場面

〜担任通信ダイジェスト

作者のコメント

このシリーズを連載したのは、兵庫高校４８回生２年７組を担任したときである。自分の高校時代や学生時代を再現するシリーズは、生徒諸君に割合ウケることが多いのだが、この「神鉄哀歌」は、「家族ぐるみ読者」も獲得して、続編を楽しみにしてくれた子が多かった。 　実は、鈴高時代にも同じ題材を扱ったこともあった。これは、それをさらに内容的にふくらませ、神鉄の企業体質にもメスを入れている。もちろん、事実に反することは書いていない。 　神鉄沿線から遠ざかった今も、電車に遅れて乗れない夢や、降りたい駅で降りられなくて、いつまでたっても学校に着かない夢を見る。あのボロ電はいつまでたっても私の潜在意識の中に住み着いているようである。 　満員の神鉄に揺られて通学・通勤したことのある人であれば、思わずうなずく場面もあるに違いない。あなたも当時の電車に乗っているつもりでお楽しみ願いたい。

神鉄哀歌（１）夢にまで見る光景

この前、ラグビーの試合で鈴蘭台に行くとき、久しぶりに神鉄に乗った。あいも変わらず冷房も入っていない蒸し風呂電車だった。乗客サービスを放棄して省エネに徹している姿勢に感服すると同時に、昔自分も我慢してこの電車に乗っていたんだなあと懐しくなった。 　私と神鉄との出会いはもう３０年以上前、都心の下山手に生れた私だが、祖父母が商売に失敗して一家は没落し、はるばる片田舎の押部谷に住むことにあいなったのはもの心のつき始めた幼稚園の頃である。親父に連れられて初めて押部谷の新居（とは言っても壊れかけた市営住宅の払い下げである。）を見に行った日のことは忘れることができない。オンボロ電車が人家一つない山間を抜け、やっと寂しい駅に降り立ったとき、日本海に近くなったような気がしたと後日親類の一人が述懐していたが、まことにそれくらい遠い地の果てに思えた。 　今も両親の住む私の実家は、神鉄押部谷駅から歩いてものの５分ほどの所にある。今でこそ料金の高いことで悪名高い神鉄だが、子供の頃隣の駅に行くのは大人１５円、子供８円だった。隣の駅まで遊びに行くとき、親に２０円もらってくると、片道２円、往復で４円のお釣りがもらえる。駄菓子屋へ行くと１円の駄菓子が４つ買えたのである。だが、没落事件以来うちの親はケチだったから、４円のお釣りも返さねばならず、友達が食べるのを指をくわえて見ていなくてはならなかった。湊川まで行っても３０円くらいだったかと思うが、私が一人で電車に乗って湊川へ行かせてもらえるようになるのは、小学校高学年、片道４０円になってからである。 　大きな転機は、何と言っても高校入学である。うちの親は三木高校へ行けと言った。ラッシュの反対で通学が楽だと言うのだが、その前年三木高から東大に２名入ったと言う情報を親はどこかから聞き込んできたのが原因らしい。（親は東大崇拝論者である）担任の先生は長田に行かないかと言った。最近長田の方が進学実績がよいらしい。だが、私はいずれの勧めも受け入れず、「兵庫へ行きます。」と言った。別に大した理由があった訳ではない。兵庫の方が５分ほど通学距離が近いのと、「長田」なんて区の名前より、「兵庫」と県の名前がついている方がかっこいいと感じたからに過ぎない。 　何の因果か、今母校で勤める羽目になっている。「長田」の方が良かったかどうか、それは永遠にわからないが、もう一度神様がやり直させてくれるのなら、きっと長田へ行くだろう。 　初めて定期券で電車に乗るというのはなかなかの快感である。もちろん当時は自動改札なんてない。いちいち切符にパンチを入れてもらわなくてもすーっと素通りのできるあの気分はチャリ通や徒歩通の諸君には憧れに違いない。しかも定期だと途中下車の寄り道ができる、というのも良い。三田行きや鈴蘭台行きの電車を鈴蘭台で降り、粟生行きの電車が来るまでスター商会で立ち読みするというのも日課として定着した。 　だが、悲惨なのは朝のラッシュである。男の闘いはまず、起床から始まる。あまり自慢のできることじゃないが、私が起きる時刻は７時１５分である。家を出るのは７時３０分前後、これすなわち朝飯なんか食う暇があるわきゃない。飛び起きて顔を洗い歯を磨き、頭にクシを入れたらすぐに服を着て（私は３年間標準服で通した！）家を飛び出す。運がよければ７時３３分発に間に合う。ちょっとしくると７時４７分発になってしまう。学校の始業時刻、すなわち８時３０分に間に合うためにはこれが最終である。これにも遅れそうになったら、とにかく必死で走る。全速力で（短距離は今より速かった！）インターハイの４００ｍに出れるんじゃないかと言うくらいの猛スピードで走ってたいていは間に合う。ところが、万一遅れたらどうなるか。次の８時２分は急行である。長田には停まらないので、鈴蘭台で降りなくてはならないのだが、とんでもない満員電車で、いくら叫んでも降ろしてもらえない。あれよあれよと電車は長田を通過し・・・あとはご想像にお任せしよう。私の持つスピード記録。家のすぐ近くに神鉄をまたぐ踏切があった。（現在は閉鎖されてしまった。）そこを私より電車の方が先に通り過ぎた。だが、私はそれから追走して、とうとうその電車に間に合ってしまったのである。さすがにそんな無茶は一度しかやらなかったが・・・ 　そんなきわどい勝負をしていても、３年間で遅刻は数えるほどしかない。チャイムが鳴っても悠々と入ってくる後輩どもとは一緒にしないでほしい。だが、私が未だに見てうなされる夢は、朝電車に遅れそうになって押部谷駅に駆け込むシーンだ。やっと電車に乗れたと思ったら、今度はその電車が長田に停まらない。いつまでたっても学校にたどり着かず、脂汗のうちに目が覚める。○○君、どうしたら君のように図太くなれるのだね？（このシリーズ続く）

神鉄哀歌（２）迷惑電車は今日も行く

高校に入学してから現在まで、大学の近くに下宿していた２年間を除いて、私はずっと電車通学（通勤）である。それもＪＲ、阪神、阪急、神鉄、山陽すべて経験しているから、「電車通勤評論家」をもって任じてもいいくらいだ。 　だが、数ある鉄道の中でも、乗り心地の悪さでは神鉄の右に出るのはそうそうないだろう。遅い、暑い、混雑と三拍子揃っている。これに運賃が高いを加えると４分の４拍子だ。 　私の高校時代の神鉄の混雑ぶりときたら、現在よりも上であろう。丁度沿線の人口が増えつつある頃であったにもかかわらず、まだ２両連結で走っている電車があったのである。ひどいときには、私の乗る押部谷駅でも「積み残し」が出るくらいだった。私も一度だけだが積み残しに遭い、遅刻を余儀なくされた。それくらい混んでいると、途中の駅では乗客の圧力でドアが開かないことがよくある。あわてふためくホームの客を、ざまあ見ろと嘲りながらも肉弾プレッシャーに必死に耐える毎日だった。こういうとき、カバンから手を離しても、カバンは床に落ちずに宙に浮いている。その分エネルギーを得しているはずだが、何故かちっとも嬉しくないのだった。 　満員の不快さは単に押されるだけではないというのは経験者ならわかるだろう。夏場ならもちろん暑い。当時は冷房車なんてあるわけない。長田駅に着いたときにはぐっしょり汗だくで、家で貯えてきたエネルギーの大半をすでに使い果たしている。雨でも降ろうものならもう最悪。座席に座っている乗客（大半は三木より奥から来る通勤者）は、首筋に雨が降りこむのを嫌がって窓を閉めてしまう。当然車内は蒸し風呂のようになる。せめて数�pでも開けてくれれば大分助かるのに・・・　こちらの苦悶を尻目に座って居眠りしている連中には殺意を覚えるのだった。 　そして、次に嫌なのが口臭。大部分はオジさん連中である。朝の味噌汁と煙草の入り混じった何とも言えぬ匂い、もっと我慢ならないのは明らかに二日酔いとわかるアセトアルデヒド臭・・・　三木のおっさんに車内エチケットなど心がけろと言う方が無理か・・・　これはもうひたすら「口呼吸」で耐えるしかない。 　女の子なら痴漢対策に一番頭を悩ますかも知れない。美少年だったからかどうかは知らないが、男の私だって、痴漢に遭った経験がある。しかも男女両方の！　女性の痴漢というのはたいてい年上のお姉さんだから、半分ビビりながらも、半分は興味津々な所があるが、男の痴漢というのはこれはもう気持ち悪いだけである。（某先生と違って、私にはそういう趣味はない） 　男の場合、反対に痴漢に間違えられる危険もある。あくまで押されたはずみであり、故意に触った訳ではないのに、女性から睨みつけられた経験はたいていの男が持っているだろう。この防衛策としては、両手をバンザイのように挙げてしまえばよいが、まさかいつもそうしている訳にもいかない。私はいつも体の正面で両手でカバンを持ち、女性の鋭敏な場所に遭遇しないように注意していた。 　だが、いくら気をつけていてもなるときはなる。ある日電車が鈴蘭台を発車しようとしたとき、カバンが人混みに引っ張られて奪われそうになり、引っ張り返そうとした瞬間、その手が何と一人の女の子の下腹部にはさまってしまった。抜こうと思っても抜けず、かと言って手を離せばカバンと泣き別れになってしまう。どうでもいいけど、その女の子はかなり太めで、手には何やらブヨブヨとした感触・・・これははっきり言って気持ちのよいものではない。幸い、その子は大して嫌な顔もしていなかったので、そのままこちらも知らん顔をして乗っていた。やっと長田駅に着き、解放されたと思ったら、その娘の胸に兵庫の校章がついていたのには冷や汗が出た。しかも同学年・・・　それからもその娘は私を避けるどころか、よく鈴蘭台駅で同じ入口から乗ってくるので、こちらの方が恥ずかしいくらいだった。 　もっとも、満員電車が嫌なことばっかりだったら、アホらしくてやってられない。今でもそうかどうかは知らないが、神鉄の一番後ろの入口は、高校生専用に近く、特に長田で降りる高校生が多い。人間不思議と毎日同じ入口から乗る習性があり、私もまたこの最後尾の住人であった。高校生の多い入口は大人も敬遠するようで、独特の雰囲気ができあがる。口臭おじさんや厚顔おばさんとくっつくよりは高校生どうしの方がもちろんよい。そして、無論お目当ては「マドンナ」である。 　１年生の頃は、関心の対象はもっぱら年上のお姉様方であった。Of Course, 相手にしてもらえるはずもなく、ただただ眺めて憧れるだけの存在である。特に印象に残っているのは、三木方面から来るＮ女子校の３人グループ。これが３人ともなかなかの美女揃いだったのだ。しかも皆なかなかのアダルトなムードを漂わせていた。彼女らから見れば私など青臭いガキに過ぎなかったであろうが・・・　中学の１年先輩で、県立Ｓ高校のＴさんという人も、よく一緒に乗り合わせた。彼女もなかなかおしとやかなムードの娘だったように記憶する。しかも決して冷たい美人ではなく、いつも優しい微笑みをたたえていた。今ごろは上級生の女の子とつきあうケースも少なくはないようだが、我々の世代では１年の壁は大きく、とうとう言葉ひとつ交わさずに終わってしまったが、もし彼女が同級生だったら、お友達くらいにはなれたかも知れないと勝手な空想をしている。 　幸か不幸か、この最後尾入口では、不思議と自分の同学年の女の子と乗り合わせることがほとんどなく、（中学時代に好きだった娘は反対方向の高校へ進学してしまった！）何気ない会話から恋が生まれるなんてことはなかったのだ。男友達はといえば、一緒に兵庫へ進んだ小学校からの親友であるＳ君は、もっぱら前の方の入口に何かあるらしく？、通学は別々。さてその私の境遇に変化が生まれるのは２年になってからである。（つづく）

神鉄哀歌（３）袖擦り合うも多少の縁

２年になると、長髪もどうやら板につき、「高校生やなあ。」という実感がしてくるものだ。どことなく中学生のあどけなさを残す下級生が入ってくるのも、その自覚を加速する。 　Ｓ子さんは、中学で１年下だった。彼女と私の中学時代の関わりと言えば、私が生徒会の経理部長だったとき彼女はクラスの経理委員だった関係で、一緒にベルマーク集めの仕事をしたくらいで、特別なつきあいがあったわけではない。そのＳ子さんがお隣のＹ高校に入学して、朝の電車で顔を合わすようになった。Ｙ高と言えば、その頃（今もおそらくそうだろうが）可愛い子が多いということで定評があった。それに引き換えわがＨ高は○×△£＆＠・・・　学業成績と美貌は両立しないというのが定説であった時代だった。 　その点から言えば彼女は典型的なＹ高の女子生徒と言ってよかった。はっきり言って美人である。背はその時分の女子高生としてはまあ高い方に属するだろう。特に痩せても太ってもいないが、スポーツウーマン（確かテニス部）らしく引き締まった体つきをしている。ヘアースタイルは最初は三つ編みだったが、その後ショートカットになった。私は昔から教え子も含めて、あまりにも女々した感じの色っぽい女性は苦手である。（別に嫌いと言うんじゃないが）どちらかというと中性的な、それでいてやっぱり女の子、という感じの子の方がずっと気軽につきあえる。彼女はまさにそんなタイプだった。人気タレントで言うと、山口百恵をフィットネスクラブで１年間くらい鍛えたような、と表現できようか。事実、彼女は友達に「モモちゃん」と愛称で呼ばれていた。失礼ながら、ここからはこの愛称で呼ばせていただく。 　さて、モモちゃんの乗ってくる駅は、押部谷から３つ向こうの木津という駅である。そう、彼女は田舎の、おそらく農家の子だった。過去に私の好きになった娘を順番に思い出してみると、圧倒的に農家の娘が多い。別に意識しているわけじゃないが、これもまた私の好みのようだ。彼女もどういうわけか、最後尾のドア愛好派だった。もっとも、乗る電車は一緒とは限らなかった。それに、最初は彼女は常にＴ子さんという友達と一緒で、私の方も（ああ、また乗ってるな）程度の意識だったように思う。（ちなみに、Ｔ子さんは体重１００�sはあるんじゃないかという堂々とした体格で、彼女に間に立たれるとモモちゃんの姿は全く見えなくなってしまうのだ。）わりと女の子に関しては目移りする方で、（これはモテない男の特権だ！）特に彼女だけを強く意識していた訳ではないのに、日に日に中学生らしさが抜けて、女子高生らしくなっていくのを日々見ていると、無関心でいろという方が無理というものだろう。 　おそらく、最初に意識し始めたのは私の方だろう。押部谷駅発の通学電車には、確か７時３３分発と４７分発があった。この４７分というのは学校に間に合う最終電車である。大体、春先から秋くらいまでの気候のいいときはたいてい３３分発に間に合っているのだが、寒くなってくると段々朝がつらくなり、４７分が多くなる。彼女は新入生ということもあって、３３分が多かったようだ。だからといって別に３３分発に固執するわけでもなくて、朝すんなり起きられて、彼女の顔が見れると、何か一日の始まりがすごく爽やかな気がし、それで充分満足できたのだった。 　満員電車は相変わらずである。私は押部谷駅で乗るときには、極力一番後から乗るようにし、ドアにど根性ガエルのようにピタッとはりついているのが習性であった。人混みに挟まれるよりはこの方が幾分楽である。栄、木幡と停車し、見津信号所（知る人ぞ知る！）で対抗電車と行き違った電車が木津駅に近づく。モモちゃんの姿がホームに見えてくる。満員電車の不快感を一瞬忘れる瞬間だ。ドアが開き、彼女はカバンを両手で前に持って肩をすぼめ、うつむき加減に私のすぐ前に滑り込んでくる。もちろん純情な私のこととて、声をかけるでもない。素知らぬ振りをして、ドアの外の景色を眺めるようにしていても、やはり彼女が気になる。彼女はずっと視線を下に向けている。それだけだったら、ごく普通の日常的光景意外の何物でもないが、満員電車という奴は、その状況にとどまることを許してくれないのだった。（つづく）

神鉄哀歌（４）袖擦り合うも多少の縁の続編

神戸電鉄というのは、「殿様企業」だとよく思う。経営努力ということをあまりしない。粟生線の複線化にしても、30年も前からやっていて、未だに完成しない。だから、我々が子供の頃と新開地へ出る所要時間がほとんど向上していない。大体、複線化のネックになっているのはあの「鈴蘭台西口」の駅なのだ。「西鈴蘭台」の駅ができたとき、「西口」の駅は廃止する予定だったのに、鈴蘭台西町の住民がゴネて、駅を無理矢理残させてしまった。あの駅があるために、トンネルを拡げて複線にすることができない。奥地の住民は早期複線化・本数増加・スピードアップを願っているのだ。西口住民のわがままを許すな!!と声を大にして叫びたい。 　とそんなことは神鉄沿線に住んでない今はどうでもよいが、私とモモちゃんを乗せた電車は藍那駅に着く。ここではいつも一人か二人しか乗ってこない。問題は次の西鈴の駅だ。いかにも厚かましそうな通勤客がどっと乗って来る。当然、私とモモちゃんは中へ押される。このとき、私は意図的に彼女から離れない方向へ身をやったことを敢えて否定するつもりはない。だが、私が先に奥へ入った後、私の方へいつも彼女が密着してきたこともまた事実であると証言したい。私と彼女は意識的に互いの視線を避けながらも、そっと寄り添っている。そこへ西口の乗客が、今度は反対側の入口から容赦ないプレッシャーをかけてくる。もう、私と彼女の間をさえぎるものは何もない。彼女の、女性にしては硬い体の感触と、暖かい体温が伝わってくる。もちろん、まだ１７歳の私に中年オジさんのようにそれを愉しんでいる余裕などない。ただただ、緊張感に縛られながら、彼女の息づかいを感じとっていた。こういうとき、女性の方が痴漢に間違えられる恐れがない分、大胆なのではないだろうか。ときどき、彼女が私の肩に額をのせてきたときなど、心臓の音が相手に聴こえるんじゃないかと思ったくらいだ。鈴蘭台に電車が停まると、私達は一旦降りねばならない。再び乗り込むときにはたいてい離ればなれになるのだけれど、そのときになって初めて今日も彼女と寄り添えたという喜びがじわじわと湧いてくるのだ。 　いつかしら、彼女とよく一緒だったＴ子さんもいなくなった。何となく二人の雰囲気を察知してくれたのかも知れない。そして、私はある頃から、奇妙な現象に気付き始めた。例えば、私がたまたま体調が好くてしばらく７時３３分発の電車に乗っていたとする。もちろん彼女も一緒である。ところが、うっかり少し寝過ごして４７分発の電車になってしまった。当然、彼女は乗っていない。翌日、これはいかんと元の３３分発に戻ると、何故か彼女は乗っていないのだ。どうしたんだろう、病気でもしたのかといぶかりつつ、翌日３３分発、彼女は乗ってきた。これが１回や２回ならたまたま偶然の産物と片づけられようが、３度、４度と同じ現象が続くと、（ひょっとして・・・）という気にもなろうというものだ。 　あるとき私は、自分の仮説の正しさを確かめてみたくなった。ある日、わざと遅らせて４７分に乗る。彼女はいない。その次の日、再度私は４７分に乗った。そして・・・彼女はやはり乗ってきた。次の日、３３分に戻る。彼女はいない。翌日の３３分。間違いなく彼女はいつものプラットホームに立っていた。仮説がいよいよ真理とわかったとき、私は思わずいとおしさで彼女を抱きしめてやりたくなった。だが・・・I have no mean to express my feelings of her ほぼ１年間、私と彼女は言葉なしで過ごしてきた。「おはよう。」の一言さえ二人の間には交わされたことはなかった。２年目のある朝突然にその言葉を発しろと言うのは、私の性格には不可能に近い。私は特におしゃべりとも無口とも思わないが、「肝心の一言」はいつも言い逃すことが多い・・・ 　あれはやはり彼女の意思表示だったのだろうか。彼女の性格も決して外向的・積極的とは思えないのに、その精一杯の表現に応えられなかった自分が情けない。だが、あえて言い訳させてもらえば、私は当時とても女の子とつき合えるような状況になかったし、仮に蛮勇をふるって交際を始めたとしても果たしてうまくいったかどうか・・・　きざな言い方をすれば、「夢を現実で壊す哀しみよりも、夢が現実にならない苦しみの方を選んだ。」というべきだろうか。当時、彼女が持てるというのは余程環境的にも資質的にも恵まれた男だけだったように思う。親の反対もなく、フランクにつきあえる今の高校生は本当にうらやましい。（ちなみにうちの父親は、「学生の分際で女なんかにうつつを抜かしたら勘当する。」と申しておりました。その言葉に反発しながらも、見返すだけの力量がなかったわけでありまして・・・）　それから卒業までの間、私と彼女の朝のデートは続いた。もう結婚して１０年を越えたけど、妻と一緒にいた時間より、モモちゃんとのそれの方が物理的にはともかく、心理的にはまだ長いかも知れない・・・　そう、今でもたまに木津の駅を通過するとき、彼女がふと立っているような錯覚に襲われることがある。 　大学進学が決まったときが一つのチャンスだったかも知れない。けれども、正直に言うと、私は別の女性に惹かれていたこともあり、彼女にアタックするタイミングを失してしまった。本当のチャンスは、実はあの満員電車の中にしかなかったのだろう。 　大学４年も終わりに近い頃、（教員就職の決まった後だと思う）、押部谷への帰りの電車でモモちゃんと乗り合わせた。彼女は同年輩の男性と一緒で、何やら親しげに語らっていた。その男性が恋人か、婚約者か、それとも偶然乗り合わせた同級生か、それはわからなかったが・・・私は彼女の目がもう私を見ていないことに気付いていた。そう、私もまた別の世界へ旅立とうとするところだった。それから彼女には一度も会っていない。 　彼女の名誉のために言えば、私と彼女との間には何もなかった。何もなかったからこそ、こうして壊れない思い出として残っている。モモちゃん──Ｓ山Ｔ子さんに幸福あれ・・・ 　神鉄は、今日もまたやる気なさそうに、こんなドラマを乗せて走っているのだろうか。（完）

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